【岡田斗司夫語録】「小説家になりたい」ではなく「小説を書く」が大事

岡田斗司夫

岡田斗司夫さんが何度も何度も言っていること、『「小説家になりたい」と言っている人は絶対に小説家になれない』。
とよ田みのるさんの漫画「これ描いて死ね」を読みながら、岡田さんの言葉を反芻しました。

目次

まず小説を書いて簡潔させる

小説家に限らず、漫画、アニメ監督、映画監督、クリエイティブ全般に言えることです。
作品を作ることがまず先にあるので、作り終えないことには何も始まらない。
作り始めて、最後まで作り終えることが出来ないクリエイティブ志望がこの世にどれだけいることか。

それで稼ぐことができる

もちろん、仕事にしていくにはそれを金銭に変えていくことも大切。
ただで配っている、または儲けが出ていないのでは、それは趣味の一環なので仕事ではない。

ゆかぴ

趣味での創作活動を否定するものではありません。

継続して稼ぎ続けるなら、それが「小説家」

継続して稼ぎ続けることができるのであれば、それが「小説家」である。
漫画を描き続けて、稼ぎ続けることができれば、それが「漫画家」である。
映画評論を続けて、稼ぎ続けることができれば、自然と「映画評論家」と呼ばれる。

「これ描いて死ね」における「作品」

「これ描いて死ね」は、フィクションではあると思いますが、作者の過去のエピソードなども盛り込まれているのかな?という感じのする物語です。

ゆかぴ

羽海野チカのハチクロみたいな。

下手でもなんでも、一つの作品を作り上げることを大前提として、仲間との物語が進みます。

これを読んでいると、岡田斗司夫の「なりたい」は「なれない」、「なる」ではなく「やる」と言っている意味がよくわかります。
「これ描いて死ね」の中に頭がダイブしちゃって、楽しい面白いだけでなく、辛い苦しいも一緒になってしまうクリエイティブ挫折民、私以外にもいるのではないでしょうか?


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この記事を書いた人

外資系企業・総合商社のITヘルプデスクを経て、フリーランスでPCサポートをしています。ツールは無駄を省くためにあるが座右の銘。三人の子どもたちの母親。

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